プロフィール


父方の祖父は長唄の杵屋家、父親は元ジャズ&ポップスボーカリスト、叔父はギタリストの大西教文という音楽一家、もう一方母方は代々和菓子職人、畳み職人、母は洋裁のサンプル制作という職人一家の長男に生まれ、生後すぐから音楽に包まれた環境で育つ。

6歳よりピアノを学ぶ。
12歳のころから、自分の聞いている音楽がバンドの音楽と言うことに気付き、自分が加入できるバンドを探しはじめる。
13歳初めて幼なじみのバンドにいれてもらう。キーボード希望だったが、もうキーボードがいたため、ベース担当になる。
しかし、一曲目を覚える前にいきなりベース改造。牛骨ナットをブラスナットに取り替えました。
15歳自己のバンドを結成。ギターのパートが難しすぎたため、ギタリスト、ベーシスト交代。以降ギターのほうがメインになってくる。
この頃にはすでに友人のギターの調整修理は常にやってきては直しの連続でした。
以来、授業中睡眠、夜は練習という日々を送る。

高校卒業後すぐに英語学校と、ステージの仕事のため渡豪。
学校生活と仕事の合間にオーストラリアで初めて手に入れたGibson J-40を寮の自室で再塗装。寮の友達にヒンシュクをかう。それ以降このJ-40はギター調整修理の実験台に。その結果未だにメインギターとして活躍してくれています。

帰国後、バーなどでソロで演奏。
94年くらいからは、ステージ、イベント業に専念。
97年、 再渡豪。
98年、タスマニア大学パフォミングアーツ科ジャズアンドロックコース入学。
この年にオーストラリアの原住民の楽器、ディジュリドゥと衝撃的な出会いを果たす。
すぐに、先生につき習い始めるが、初日にして、呼吸法をマスター。以降1年半、先生の助手として、オーストラリア人にディジュリドゥを教える。
この頃大学と平行して音響の専門学校でも勉強する。
01年大学卒業
02年帰国。結婚。この年、高知国体の音楽編曲、制作をする。
03年熊本県球磨郡に居をかまえ、自己のスタジオで音楽制作をはじめる。